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カルチャー

偉人たちの男前な着こなし【伊丹十三編】

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芸能界に伝説を打ち立てた偉人たちは、生き様自体がすでに男前。その格好良さは一体どこから来るのでしょう。映画監督、俳優、エッセイストなど多彩な“顔”で活躍した伊丹十三の着こなしや服選びを知ることで、男前の本質が見えてきます。

伊丹十三の“本筋”ワードローブ

◆ 伊丹十三編

〝伊丹十三〟とは、いったいナニモノなんだろう?

正直いって本稿の限られた文字数で、彼の本質に迫るなんて不可能だ。〝伊丹明朝〟と呼ばれるほどのレタリング技術を備えたグラフィックデザイナー。ハリウッド大作にも出演した個性派映画俳優。本物のライフスタイルや見識を啓蒙するエッセイスト。『遠くへ行きたい』などの斬新なドキュメンタリーを自ら企画したテレビマン。戦後日本人の生き方とその問題をあぶりだした映画監督……。しかもそれらすべてにおいて超一流の腕前を誇った大天才。それぞれの仕事について、何冊も本が書けてしまう。筆者が語れるとしたら、せいぜいファッション、それもその上澄みをちょいとすくう程度のものだろう。

「一流」にこだわりつくした、ヤング伊丹スタイル

1960年代の半ば、20代後半から30代前半にかけての伊丹十三は、一種のヒップスターだった。端正なルックスと180㎝の長身に加え、ハリウッド大作に出演するほどの俳優であり、ヨーロッパのファッションやライフスタイルを肌で知る最先端の知識人。その頃の若者たちにとっては、和製アイビーの「VAN」や「JUN」ですら崇拝の対象だというのに、伊丹十三はすでに「エルメス」の手袋や「グッチ」のバッグ、「ダンヒル」のガスライターを優雅に使いこなし、「ロータス・エラン」を乗り回している。もはや嫉妬する気も起こらないほどに、レベルが違うのだ。

当然のごとく、60年代のファッション誌はこぞって伊丹十三の特集を作っているのだが、そのスタイルがまたすごい。自身が所有する世界の一流品でファッションページをつくった『HEIBON パンチ DELUXE』(1966年VOL.1)では、オーストリア製の真っ赤なチロリアンジャケットに、ブラウンのコーデュロイパンツ、『ヨーロッパ退屈日記』で言及した「ドッグシューズ」と思われる、スエード靴というコーディネートを披露。当時の日本では「セレクトショップ」という概念すらなかったことを考えると、早すぎたミックスコーディネートというよりほかない。

ただし、単なるブランド信仰でないところが、伊丹スタイルの男前たるゆえん。せっかく手に入れた一流品だからと、カバーをかけて後生大事に扱うような行為を、伊丹十三は何よりも嫌った。数百万円するビキューナのコートだろうと平気で芝生の上に寝転んだし、「ロータス・エラン」のボディについた猫の足跡を、〝これぞ芸術品〟と喜んだ。そして財布の中に百円玉一個しかないときは、世界最高の消しゴムを探そう!と読者に呼びかけた。彼にとっての一流品とは、必ずしも高価なものとは限らなかったのだ。

ヒッピーカルチャーの影響で、アーミールックに開眼

そんなヨーロッパ志向の伊丹スタイルに変化が訪れたのが、テレビマンとしてドキュメンタリー番組の制作に携わりはじめた1970年頃。アメ横にある中田商店で購入した米軍放出のジャングル・ファティーグジャケットや、ズック地のバッグ、ユーズドのジーンズなどがトレードマークになり、端正に整えていたヘアスタイルも、無造作な長髪に。

「ロータス・エラン」もあっさり手放し、中古の「ジープ」を手に入れるなど、そのイメージはすっかり変わってしまった。1971年に出版された雑誌『NOW』のなかで、彼はその変貌がヒッピーカルチャーからの影響によるものだと語っている。いわゆるアーミールックは、行き過ぎた消費文化に対するアンチテーゼであり、高いものを身につけるお洒落の時代は終わった、とも。

ヒッピームーブメントの終焉後も、伊丹十三の精神世界への傾倒は続き、1981年に自ら創刊した雑誌『モノンクル』として、結実することになる。編集長時代の伊丹十三の写真を見ると、「L.L.BEAN」か「エディー・バウアー」と思しき迷彩のハンティングジャケットを着ているのだが、それもまた実にかっこいい。

晩年のトレードマークは、チャイナジャケットと刺し子の半纏

残念ながら『モノンクル』は6号で休刊してしまったが、伊丹十三の歩みは止まらない。1984年の『お葬式』を皮切りに、映画監督として10本の傑作を残すことになる。『タンポポ』、『マルサの女』、『ミンボーの女』etc.。巧みにエンタテインメントのオブラートに包んでいるが、ほとんどの伊丹映画に通底するテーマは、「日本人論」。お金や物質、そして流行に踊らされる日本人の愚かしさを、痛烈に皮肉っている。

そんな思想の深まりとリンクするように、1980年頃から伊丹十三が身に着けはじめたのが、刺し子の半纏やチャイナジャケットといった、東洋趣味のワードローブである。前者は白洲正子が経営していた「こうげい」などで、後者は麻布十番のテーラー「池田屋」(どちらも現在は閉店)で仕立てていたという。愛用していた「ルイ・ヴィトン」のバッグは、盛岡にある「光源社」のかごバッグや、印傳の巾着袋に取って代わった。もちろん、どれもうなるほどの高級品。これらを「ボルサリーノ」のソフト帽や、「ステファンケリアン」のスリッポンなどと合わせるのが、後年のアイコンとなったスタイルだ。

戦後誰よりも早くヨーロッパの一流に触れた若き天才は、精神世界への傾倒とともにヒッピーファッションに変貌し、最後は東洋の美に回帰した。それが伊丹スタイルの概要というわけだ。


〝本筋〟を追い求めた64年の生涯

数年前、伊丹十三の奥様である宮本信子さんにインタビューをさせていただく機会に恵まれたが、彼女はそのファッションについて「こだわりはあるが、執着はしない。ころっとオセロのように変わって、あとは見向きもしない」などと語っていた。でもそれは、単に飽きっぽいとか、流されやすいという意味とは正反対。『ヨーロッパ退屈日記』で綴っていた、「マニアワセ、似せもの、月並み」をなにより嫌い、〝本筋〟にこだわり抜く姿勢には、生涯少しのブレもなかった。伊丹スタイルの変遷は、自らを「ベンキョー人間」と称し、あらゆることを学びの対象にした男の、進化と深化の〝副産物〟なのだ。もちろん、そんなこだわり男に連れ添った宮本さんは大変な苦労をされたそうで、結婚にあたっては、それまで彼女が所有していた私物はすべて捨てることになったとか……。

伊丹十三のスタイルは、真似たくなるほど男前である。でもただ真似ただけじゃ、絶対に男前にはなれない。すべての〝まがい物〟を拒否し、〝本筋〟を追求する覚悟が伴ってこそ、単なるファッションはスタイルへと昇華する。

引用元https://www.leon.jp/peoples/70166?page=3


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